令和はじめての冬に、ベイベー歴7年目に突入いたします。シズノです。
わたしのはじめてのワンマンショーは、2014年「愛と青春の旅だし。」八王子公演。
それからというものの、学生時代は掛け持ちのポリシーゆえに、そして、いまは飲食業という仕事ゆえに、本数は多くはありませんが、毎年欠かさず、ワンマンショーに参加しております。
今回は、わたし自身のワンマンショーの楽しみ方について、まとめようと思います。
というのも、わたしは、そのときの気分や体調、集中力、周囲の状況などで、ワンマンショーが楽しめたり楽しめなかったりすること、また、終了直後、その実感がなく、一晩たって楽しかったのかどうかでさえも、わからなくなってしまうことがあり、その楽しみ方を整理することで、これからのワンマンショーの参加を、よりよいものにしたいという思うゆえです。
もちろん、これから述べるものは、あくまで、わたしの楽しみ方であり、それをひとに侵す権利も侵される権利もありません。
さてと。その楽しみ方を語るに至り、わたし自身のみちたそに対する前提を述べていかなければ。
あ、わたしが、上地雄輔を語るには及川光博が欠かせないし、及川光博を語るには上地雄輔が欠かせないため、(1)前提は、もはや上地雄輔を語っているかもしれない。お許しくださいませ。
あと、以下、「上地さん」と文字合わせで、みちたそを「光博さん」とお呼びします。
【1】歌詞解釈
…まず、シズノというベイベーは、光博さんの歌詞解釈ができません。
それは、わたしの歌詞のすべてが上地さんにあることが、根本にあります。
以下、脱線しますが、上地さんの歌詞について、述べます。これぞ、愛の証明。
太陽と雨を立てつつも、その存在同様、控えめに己の存在価値について述べる、雲視点の「恵みの雲」の歌詞のように、まるでものを人として扱う、最も特徴的な表現。
遠くへ行くひとに「10年でも100年でも 僕が見えるこの道 辿り着く夢の続きに 君が笑顔でいますように」(彩道)というやさしさを持ちつつ、「信じても助けないケチな神様信じるより がむしゃらに走りたい気高き獣のように強く」(チャンピオン)と力強い、歌詞から伝わる、彼の人柄。
そんな彼らしい、「まだ叶えてないから夢見れる 叶えられないならずっと見れる」(ライオン)と、まぶしすぎるほどポジティブな歌詞を書いたと思えば、「被害妄想しながら 頭下げて中指立ててる」(砂時計)と暴力的とも捉えかねない、ネガティブな歌詞も書く。また、「想うあまりに憂う」ひとへの恋文に「そちらまで聞こえていますか?」「そちらまで届いていますか?」という儚さも、彼は持っている。ある意味、大人らしいセクシーな彼の一面も、その歌詞から垣間見ることができたり。
また、サンタクロースを「僕の家に煙突ないからきっとこの窓から来るよね」と待ったり(まだ僕はサンタに会ったことがない)や、「買ってた駄菓子屋 今はコンビニ」「商店街は ほぼパチンコ屋」(stay just the way you are)など、ノスタルジックな「エモい」歌詞を書かせれば、上地さんの右に出るものはいないだろう。
上地さんは、歌詞でさえも、他人の物語を描くほどに、己について深く語らないひとです。でも、その歌詞こそが彼自身を語るにふさわしい、とわたしは思います。
上地さんの歌詞を、いや、上地雄輔を、わたしはこの上なく、愛しています。
上地さんの歌詞を踏まえると、光博さんの歌詞って、行間が多い上に、表現が非常にシンプルだと、わたしは思う。上地さんの歌詞が表現が濃ゆすぎるのかな、とも思うんだけども…
わたしは、そこまで行間が多くシンプルな歌詞に、解釈する根拠を見出す自信がありません。ゆえに、わたしは光博さんの歌詞を解釈できないという、結論です。
【2】ファン活動の例外
そもそも、わたしは、歌詞解釈に限らず、ファンとしての向き合い方、経験、いわゆるファン活動について、上地さんが基本です。
しかし、ファン活動のなかで、上地さんが基本ではないものが、唯一、存在します。
それは、ライブです。
わたしのはじめてのライブ参加は、2010年の「オイラの村ですケド。」ですが、以後のライブ参加は、冒頭に述べた、2014年の「愛と青春の旅だし。」八王子、そして相模大野、「MITSUHIROCK☆SHOW」のAX公演。わたしは、ライブの初参加から4年のブランクを経て、ワンマンショーにどハマりしてしまいました。
ゆえに、わたしのライブの基本は、気づいたら、ワンマンショーとなっていたのです。
いまもなお、上地さんのライブよりも、ワンマンのほうが、わたしは地元のようにこころ落ち着きます。
むかし、わたしは上地さんのライブに対して、エンターテイメントとして、あまりよいクオリティーではないと考えてました。
まるでおかあさんといっしょの公開収録のような陳腐な演出。宇宙船?着ぐるみ?え、なにそれ?
我々は上地さんに会いたい、上地さんの歌を聴きたいのに、それ以上とは言いませんが、上地さんの歌やパフォーマンス同様に、ダンサーさんのパフォーマンスも見せたいという姿勢。まあ、ねえ、あのひとらしいけども、さあ。
DVD収録でも、テレビの音楽番組のようなカメラワーク。むかしは、ヘキサゴンチームが関わっていたんだよなあ。
…いま思えば、わたしたぶん、演出が一番だめだったんだ。たしかに、冷静に考えると、いまもだめなところある。うん。
ベイベーになるきっかけから、ワンマンショーまでの道のり。
2012年夏、ブルーレイレコーダーを購入したことにより(いままでビデオでした)、わたしは相棒神戸期の再放送を録画しはじめます。部活おわりに見る、神戸くんは、疲れを吹き飛ばすほどに目の保養でした。
だんだんと、及川光博というひとのことを意識しはじめます。
夏のおわりにオープンキャンパスに行った帰りには、テレ朝ショップで相棒tenのファイルを購入した覚えがあります。秋には、オフィシャルガイドブックの神戸くんを死ぬほど眺めていました。冬には、出演番組を録画していました。
YouTubeでワンマンの映像を漁り、TSUTAYAでアルバム「光」「博」をレンタル。
そして、BOOKOFFで「誰にも言っちゃダメだよ」を購入。どうして誰にもだったんかなあ。…あ、若さのカタルシスの光博さんのパフォーマンスが、なにを表現しているのか、当時、理解不能な高2のわたしでした笑
以後、試合帰りに、自宅のパソコンで印刷した周辺地図を見ながら、試合会場の最寄のBOOKOFFに行き、掘り出し物巡りをして、ワンマンショーのDVDなどを集めるに至りました。いまはもう、シングル以外は完璧に揃っている。
当時、2012年の上地さんのツアーが映像化なしだったということもあり(行けばよかったけど、当時行くなんて考えもしなかったのよ!おバカさん!)、わたしの気持ちは完全に光博さんでした。
そんなときに、ワンマンショーに通い詰めてしまったら…はい、いまに至るのです。
あ、ファミリーヒストリーという番組でおじいさまのお話に涙をみせて「泣く予定じゃなかったのに!」という上地さんをみて、うっかり上地さんへの愛を改めて痛感したあと、ワンマンショーデビューと同時に、上地さんのツアーにも参加しはじめた結果、思いのほか、クオリティーがよく、感動し、かみみちの掛け持ちに努めることはまた、別のはなし。
掛け持ち論について、いつかは述べていきたいところだけども、いまはもう、掛け持ちに対しての熱量が高くないんだなあ。むかしは、ギラギラしてたんだけどねえ。
以下、前提として、
【1】 及川光博の歌詞解釈ができない
【2】 ファン活動の基本は上地雄輔であるが、ライブについてはワンマンショーが基本
…長々と不必要なほどに述べました。なにかあったらまた追記いたします。
つづく。