空の暗闇は月を磨く

夜空見あげて 涙ぐむほど推しが好き

おバカ と わたし ~ソロはじめての紅白歌合戦まで

ひまわり。購入した日から、毎日毎日、嬉しくて嬉しくて、大して好きでもない下手な歌を聴いていた。当時45万枚売れたんでしたっけ、音楽番組ラッシュで特に生放送のMステは震えながらテレビの前で待っていたなあ。

 

上地雄輔ひまわり物語。録画してて最後の最後にビデオテープが切れた思い出…。上地雄輔本人によるオーディションで選ばれた吉田くん演じる上地雄輔のご家族やお友達のお話をはじめ、丹波さんのお話、ケガのお話などを再現ドラマ化。時々親友先輩後輩とのトーク。そして、謙二さんのお宅にお邪魔してお墓参り。形として残していなくても覚えているもんだなあ。


どろっぷにくろぜろ。どろっぷのヒデくんの涙を流すシーンスゴいよねえ。くろぜろは数少ないシーンのなかでも、血まみれ筒本くんがめちゃくちゃ怖かった記憶しかない。

 

6月の感謝祭。これは行ってないからなんとも。9月のひまわり祭りと時々区別がつかないくらいです。でも遊助ライブの前身、いわば最初のライブ、参加できた方は貴重ですよねえこれ。ちなみに私は当時ライブに行くなんて滅相もない、って思っていてねえ。

▽感謝祭 

上地雄輔さん、地元・横須賀で「ファン感謝祭」-ソレイユの丘に「ひまわり畑」も - 横須賀経済新聞

▽ひまわり祭

上地雄輔さんファン感謝イベント「遊助ひまわり祭」-ソレイユの丘に1万人 - 横須賀経済新聞

 

たんぽぽ。まさか2ndシングルを発売するなんて思いもしなかった。発売後すぐに歌詞を調べてすぐに覚えた。


突然の恥くん卒業。何が起きたのかわからなかった。ただただ涙を流すテレビ越しの上地雄輔を見ることしかできなかった。

 

てんちじんにほん怖。小早川様はサーティーがサーティーンという記憶しか…ああ最期は儚かったよなあ。また大河出演ないのかなあ。石川くんは単なるドッペルゲンガーだよねえ。

 

いちょう。どうしても欲しくなって発売日に旅行中にもかかわらず購入。いちょうの「ごめんねを言われるより ありがとうを言わせるように」これはいつでも私の合言葉。


ぎね。お母さんがお亡くなりになるときの娘さんの泣き声が今でもトラウマ。怖かったなあうるさかったなあ。ちなみに個人的玉木先生で好きなシーンは、女の子に刺されるシーンです←

 

あの‥こんなんできましたケド。はじめてのアルバム。はじめて初回版を購入したCD。ひまわりの3曲を毎日毎日聴いていたときを考えるともう、もったいなくてもったいなくて。

今ではライブ終了の定番曲の「みんなのうた」をはじめ、野球選手の入場曲ともなった「わんぱく野球バカ」、当時としてはまさかの明るく元気なイメージの遊助と切ないメロディが絶妙に混ざり合う「水面」等が収録。今の遊助で水面聴いてみたいなあ。

 

というワケで、黄色いサンタのはじまりはじまり。

応募もしなかった、動画も結局見なかった、神児遊助だけ読んでいた。たぶん大学生になってしっかりとライブ参加するまではずっとほぼ傍観者なんだよなあ、私は。中学生なんて言わずもがな。

にしても、この神児遊助の写真は見ていられるもんじゃなかったなあ。ここまで羞恥心時代にもなかったんじゃないかなあ。

はてさて。ここでとあるサプライズが。

今考えると、これはとんでもない企画だと思います。1時間とはいえ、横浜スタジアムを入場無料で…なんて。すげえ、、、

しかも、今もなお唯一音源化されていない「黄色いサンタのmy love」を披露。これははじめてのサプライズ曲だねえ。そうそう、あの場っきりではなく、1日限定でサイトでも聞けるようにしてくださったんだよねえ。ありがてえ、、、

しかし。ここで事件が。

「昨日来れなかった人で
『悔しい』『ずるい』『なんで?』
 て思ってる人いませんか?いたらあなたは6才以下ですよ('-^*)?」
…このひとことが、ちょっと、気に障ったひとがいたみたい(私自身が直接かかわったワケではないこと、今から7年も前のことから、あまり詳しい言及はしませんが)。
その反応を受けてか、生放送のMステとブランチにおいての彼の様子がおかしく見えたのは、気のせいだったのかなあ。でもそう指摘する声は多かった気がする。
まあ今となってもわからないことはわからないのですが。
にしても、この日から、上地雄輔とそのファン、crewの距離は少し離れたんじゃないのかなあ、と私は考えています。
 
気を取り直して、ソロとして、はじめての紅白歌合戦

気を取り直せるかーーーーーーっ!!笑
紅白の緊張もなにも、髪型に全部持っていかれたとさ、ちゃんちゃんっ。